横山 操
Misao Yokoyama
1920年、新潟県西蒲原郡吉田町に生まれる。19歳で川端画学校日本画部に入学、招集され、中国を転戦後、シベリア抑留。1950年に復員し、青龍社に復帰。激しい気迫で戦後の日本画を模索し、斬新な大画面の作品で画壇に賛否両論を巻き起こした。1959年の轟会発足より、1971年病に倒れ、壮絶な闘病の後1973年に亡くなるまで、村越画廊とは深い繋がりを保ち続けていた。多摩美時代は加山又造とともに熱心に学生の指導に当たり、門下からは小泉智英、中野嘉之、松下宣廉、米谷清和ら、多くの優れた作家が世に送り出された。横山の絵は時代を超えて、常に見るものの魂を揺さぶり、叱咤激励する暖かさと激しさに満ちている。